ヴィジュアルコミュニケーションの在り方

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例えば本を触った時。
その手触りから様々なモノを連想する。
光沢のある表面からは、つるつるとした触感(触ってはいないが連想される)
ときにはインクのベタつきや、指紋の汚れがつく事も。
光を反射しないマットな表面からは、ざらざらとした触感が。
時には紙だけでなく葉のような毛の触感だったり、時には固く爬虫類のようなザラッとしたモノかもしれない。

コップや花瓶などのガラスや陶器。
木材は色や光沢感から、表面がザラっとしていたり、つるつるとしていたり、軽かったり重かったり。
プラスチックは軽く傷に弱くチープ感があるが、ポリカーボネイトやカーボンは強く硬く高級感も出せる。

これらは体験によって既に頭にインプットされていて、見た目からもそれは伝えることができる。
今までスキュアモーフィックの在り方であり、モニター・ディスプレイが表現する上でもっともストレートで正攻法な表現方法だと思う。

それが今、フラットデザインが次々と採用されてきて無くなってきている。
それはデザインの表現から離れてきているのか?といえば違うと思う。

フラットデザインはそもそも視覚的訴求ではなく、動作的、主体的、能動的な訴求している面が多い。この部分を触るとどうなるのか。画面をスワイプするとどうなるのか。この表現が可能にしているのは、そもそも様々なデバイスが持つ機能の体験だ。それを人は頭にインプットされている為、UIとのコミュニケーションが取れる。
現在ではヴィジュアル的なコミュニケーション方法が洗練され、ある特定のモチーフやアイコンだけで”それ”が伝わるよう人間の感覚が変わってきている。
これがきっと出来る、という感覚が確信に近い形でインプットされている為に表現のミニマル化が可能になっている。(それこそ冒頭画像にある点。Webサイトに点が意味深に置いてあれば、たとえそれがただの点だとしてもクリックが出来るだろうと思う人が多く居ると思う。紙では触れて何か出来るという感覚には一切ならない。それは体験がそうさせているから。)

そう考えると、Appleが打ち出してきたミニマルでシンプルな手法が私たちに大きな影響を与えている事は間違い無いように思える。

ツィギーのミニスカート。アズディン・アライアのボディコン。松田聖子のヘアスタイル。
ジョン・レノンの平和的訴えとヒッピー文化。
黒人差別とそこからの脱却、更に黒人が作り出す音楽・ファッションムーブメント。
一度センセーショナルを起こすと、一気にそれが一般的に受け入れられ、常識的感覚になる。
一時期のグラデーション、ドロップシャドウを多用したスキュアモーフィックデザインから、主体的・能動的で質感を抑えたフラットデザイン。(質感が全く無いわけでは無いと思う)

デザインも、そういう事なんだなと思った。

ヴィジュアルコミュニケーションは様々なところで重要な要素だ。街にあるSignから企画書や取扱説明書にある図まで。
iPhoneを始めとするスマートフォン・タブレット文化は、少しづつ色々な場面で私たちの生活に影響してきていると思う。