「ブログを書く」という”作業”と”整理学”

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この手の記事を書くのは何度目だろう。そして前にも書いてると思う。

ブログを書く理由なんてのは、人それぞれで、目的も皆さん色々あるでしょう。
僕がブログというモノに手を出した理由の一つにアウトプットがあります。

本やネット記事なんかを読み漁っていると、なんとなく自分に落とし込みたくなります。
作れるものなんかは、実際に手を動かせばいいだけなのですが、”考え方”みたいなものはどうも頭の中でモヤモヤしてしまい、なんとなく整理したくなる性格のようで、今回もこのネタを頭の中で整理するためにMacを取り出し”Kickflip”を立てソファーで寝転び”Alternote”でメモをしています。
この習慣こそが僕のブログそのもの。

僕の記事は、基本的に読み物系が多いです。
何かサンプルを出したり、まとめたり、ってのはブログ立ち上げ当初、存在意義を見出す為に意識してやっていました。
「あの人あたり読んで拡散してくれるだろうなー」という感じ。
おかげ様でその頃は月間10万PVくらいは出る「読まれるブログにする」というステージにようやく片足入ったくらいで満足して以降、ここ数年はこんなような文字ばかりでアクセスもブクマも全く無い記事ばかりになってきました。
が、それで良いと思っています。そして満足しています。
今は前と違って「誰もこんなモノ読みたくないだろうな」と頭によぎりながらも書いています。

既に冒頭で触れていますが、頭を整理するには、考えを文章等に落としこむ事に重きを置いています。
これをやるやらないで、その時考えていた事が自分に入ってくる度合いが全く変わってきます。

この辺り、本を書いている人なんかはかなりあるのかなとも思います。
例えばノーマンは改訂版を出していますが、自分の本の中身を良く理解している感じがします(当たり前だけど)
でなければ、時代に合わせた改訂版を新たに書く、書きたくなる、とは思わないでしょう。
(話変わりますけどノーマンってちょいちょい自分を大きく見せようとするようなニュアンスの文章が入ってますよね。。凄く気になります。例えば”ノーマン・ドア”とか)

何かを書く時、背景やコンテキストなんかも含めて一つの事を表現するはずです。
でなければ書けない。
その作業がとても重要で、この整理学が自分へ落とし込むのに必要な儀式みたいなものになってきてます。
もちろんそれを全て記事として出す必要も無いのですが、記事として出す、というような何か一つ目的が無いと、この作業もどこか甘えが出てしまう。ブログって運営してる人は皆さん体験あると思うのですが、とにかく文句つけられるんですよね。もちろん書くからには文句は言われたくないので、ある程度しっかりした内容にしないといけない。そういうところに意味があると思います。

例えば今挙げた”整理学”という言葉。
書いているうちに思うのです。「あれ?整理学ってこういう意味であってるのか?」と。

一つの事を表現するのに、その言葉一つ一つが正しくてはならない。
だから調べる。考える。この作業です。

せっかく記事にしているのだから、挿絵の一つでも入れれば更に説得力が増し、読者の方々も楽しめるとは頭ではわかっているのですが、そこまでやってると僕の性格上続かないので勘弁してください。。。

たまには世の中に役立つものを出していきたいなーとは思いつつも、今日もエゴイスティックな内容を皆さまにお届け。現場からは以上です。